川端千音さん“夢”について語る!

夢を追って東京に旅立つ前に川端千音ちゃんにインタビュー

宮崎の20代前半やティーン世代で絶大なる支持を受けているSNSフォロワー数6000人の川端千音ちゃん。夢を追って東京に旅立つ前に「夢」についてインタビューしました。

(カメラをむけるとすぐふざけた表情をします。カエルをイメージしたみたいです。笑)

 

10代の川端千音はどんな子でしたか?

小さい頃から将来の夢は、有名人になることでした。歌手になりたいと思ってました。そして小学校・中学校の頃は、バレーをしてました。1人で1時間前に練習に行ってずっと1人で壁に向かってボールを打ってました。後は、運動会で副団長をしてました!

(幼少期のかずねちゃん)

(副団長をしてた小学校時代)

(バレーボールをしてた中学校時代)

バレーは高校生で辞めて部活に入らず、高校生活はいたって普通の高校生活でした。なんなら悪ガキでした(笑)

(悪ガキだった高校時代)

アルバイトもせず、学校終わりに友達や彼氏と遊んでばっかりでした。高校生の頃は、何かを頑張ることを全くしていませんでしたし楽しいって思えることしかしていなかったです。

そんな平凡な学生生活の高校3年生の頃に、YUMEZAKIと出会えて刺激を貰える日がやってきました。高校生活で、初めて頑張ることや努力することをしました。(笑)

部活やアルバイトをしてなかった私にとって、今考えるととても良い経験でした。

 

2年半前、YUMEZAKIに初めて出た時の思い出は?

楽しかったです。本当に楽しかった!!元々、東京ガールズコレクションに憧れを持っていました。そしてYUMEZAKIで初めて人前でステージに立ってランウェイを歩いて私の名前を呼んでくれたり応援してくれたりする人がいて本当に嬉しかったのを覚えています。

YUMEZAKI自体も初めての開催。YUMEZAKIモデルも初めて。だからモデルも全員が仲良くて、グランプリを取りたいというより、みんなで楽しみたいが凄く強くて気持ちも楽でした。初代YUMEZAKIモデルは学校が別々でしたが、年齢もほとんど同い年ということもあって、YUMEZAKIきっかけでモデルのみんなとは仲良くなりました!

(8人の初代YUMEZAKIモデルの内7人は同級生でした)

(初代YUMEZAKIモデル8人。)

結果、この時はグランプリは取れなかったです。練習や本番ではグランプリ取りたいとは思ってなかったけど、いざ名前を呼ばれなかった時に初めて悔しいと思いました。というか悔しさと寂しさで、心にポッカリ穴が空きました。

でもこのYUMEZAKIの経験で、もっと大きなステージに立ったり色んな人に応援されるような人になりたい!という想いが強くなって、改めて夢が明確になった瞬間でした。自分の人生のターニングポイントでした。

 

高校を卒業後、福岡へ

高校卒業後、福岡に行きました。元々夢を追って東京に行く予定でしたが、芸能関係のオーディションが福岡でもあったりお母さんのことを考えて福岡に行きました。

WEGOというアパレルショップで約2年間勤めました。そこで自分の人生の中で更にターニングポイントになりました。

福岡のWEGOで働いて、自分の認知度が増えていったり福岡でのファッションイベントに出演させて頂いたり、SNSのフォロワーが凄く増えました。私に会いにWEGOに来てくれるファンも来てくれたり、応援してくれる子が会いに来てくれることが凄く嬉しかったです。

そして何より、素晴らしい人達のメンバーが集まった職場でした。みんな色んな夢を持ってて、こんな小娘に社会の厳しさを教えてくれて人間的にも成長出来た場所でした。

 

YUMEZAKI FESTIVAL vol.4の思い出は

もう終わって1年以上立つと考えると早いですね・・・。

vol.4から社会人枠が始まって、その時にYUMEZAKIに出ないかと声がかかって、正直出るか凄く迷いました。出たいという気持ちはあったけど、この時に私が気になる存在がいました。

山口莉瀬です。(後に永遠のライバル的存在になります。)

リセとは高校も一緒でお互い友達でした。リセはvol.2のYUMEZAKIで出場していてvol.4では2回目の挑戦。そして私もvol.1のYUMEZAKIで出場していて2回目の挑戦。友達とバチバチしたり、戦うというのが凄く嫌でした。

でもリセから「出るからにはグランプリを取りに行くから負けないよ!」と言われて、私も絶対に負けたくない気持ちが強くなっていきました。ここから私の中で「打倒!りせ」となりました。

(YUMEZAKI FESTIVAL vol.4宣材写真)

本番が近づくにつれて、周りのモデルも凄くなってきたけど、負けず嫌いな気持ちが強かったのでずっとリセを意識してました。最初から最後までリセを意識していましたね(笑)

vol.4のYUMEZAKI FESTIVALでは2日間開催でした。

そんな中、本番前にリセと約束をしました。

土曜日が私の出番で、日曜日がリセでした。予選を上がらないと同じステージでは戦えないので、決勝戦で必ず戦おう。ということを約束しました。

本当にお互い刺激し合って良いライバル関係でした。

4代目ミスYUMEZAKIグランプリ獲得して

予選を勝ち進んで、リセと約束してた決勝戦に勝ち進むことはお互い出来ました。決勝戦で、順番は3番を引きました。私のラッキーナンバーが3番で、この瞬間“優勝した”って思いました。

3番を引いたのが運命なのか、緊張せずリラックスして歩けました。本当に楽しかったし、自信持ってパフォーマンス出来ました。

YUMEZAKI始まって終わりまで、負けるということは考えてもいませんでした。私の中で、マイナスの考えを持ってたらそのようになってしまうと思ってるのでずっとプラス思考の考えを持ってました。

「グランプリを絶対取る!」とずっと思ってたし、「ステージ場で絶対私の名前呼ばれてやる!」という気持ちでした。

名前を呼ばれた瞬間は、苦しかった思い出や楽しかった思い出、特に良い意味での苦しかった思い出が全部記憶が蘇ってきました。ここまで沢山の人が支えてくれて、自分の頑張ったことがこのように結果が返ってくるんだってのを感じて号泣しちゃいましたね。とにかく本当に嬉しかったです。

そしてこの時、リセとお互い決勝戦で戦う約束をしてて叶ったのは嬉しかったです。お互いの出番前には、背中を押してましたし予選では応援し合ってました。リセは特別賞を受賞して、リセからは「おめでとう!」と言われたことが本当に嬉しかった。

今まで色々あったけど、おめでとうと言い合って2人で大号泣でした。

今ではライバルでもあり親友です。

 

グランプリを取り1年経ち指導者へ

初めて出る側だった立場の私が、モデルの指導者の立場になれることが楽しみでした。そして何よりYUMEZAKIに1から携われるのが嬉しかったです。

最初から1人1人の成長が見れるのが楽しみでした。私の教えれることを出来る限りのことを伝えていこうと思いました。

最初は教え方を苦戦してました。そしてモデルのみんなもなかなか心を開いてくれなかった・・・。私なりにもっとみんなを良くすることを色々考えました。そしたら、みんながこんな私にどんどん頼ってきてくれました。

凄く嬉しかったです。もっとみんなの力になりたいって強く思いました。

指導する立場で気付いたことが、最初は失敗することをみんな恐れてました。壁をつくらずがむしゃらに挑戦することが大切だと気付かされました。

指導者の立場になって、自分も学ばせて貰いましたし新しい経験をさせて頂きました。やってて良かったなと思いました!頼りになったか分からないけど・・・

夢に向かって東京に旅立つにあたって

必ず夢を叶えるために東京にチャレンジしに行きます!1人で行くので若いうちにしか出来ないことを壁を作らずどんどん挑戦したいと思ってます。

私のために支えてくれた人達。そして何よりずーーーーーっと私を支えてくれたお母さんに、夢を叶えて恩返ししたいと思ってます。

(大好きなお母さんと旅立つ前の2ショット写真)

YUMEZAKIで出来た新しいことや学んだ経験。

(初代YUMEZAKIラジオのメインパーソナリティをしたり)

(宮崎日日新聞に1面特集組んでもらったり)

宮崎で出会った仲間たち。

今まで生きてきた経験を忘れずに東京で頑張りたいです。夢を持った同世代の中でも、かずねを見て私も頑張ろう!俺も頑張ろう!という存在でいたいです。

東京で何が起きるか分からないけど、今から頑張ることは何十年というわけではなく、何年かの頑張りで辛いも楽しいも関係ないと思ってるので全力で頑張りたいです!!

その時に、私が有名人になってYUMEZAKIでゲストで呼ばれるようになりたいです。

色んな想いを背負って東京で頑張ります!!

(東京の原宿のWEGOで働いてるのでみんな遊びに来てね♡)

 

川端 千音にとって“夢”とは?

「必ず叶えたいモノ」です。

 

東京に行っても、かずねちゃんらしく笑顔で頑張って下さい♪

川端 千音のプロフィール

川端 千音さんの経歴書はココ≫