YUMEZAKIを思いついたきっかけ@りょうじさん記事

りょうじ。東京でボコボコにされる。

皆さん。メリークリスマスイブ★今日はクリスマスイブ。いかがお過ごしでしょうか?

僕はというと、クリスマスイブに車の中に鍵を入れてインロックされ極寒の中、外で鍵の110番さんを待つという最高なクリスマスイブを迎えました。今年は鍵の110番さんにクリスマスプレゼントを渡しました。

ということで、毎週日曜日はお待ちかね。りょうじさんの記事となっております。

(クリスマス暇で暇で仕方ない人はこの記事を見て元気出してね)

今日はクリスマスイブですが、記事を書かせて頂きます。前回はYUMEZAKIの生い立ちについて書かせて頂きました。

※見てない方は↓↓

YUMEZAKIの生い立ち@りょうじさん記事

宮崎を少しでも盛り上げるために、イベントをやってきて600人の動員があり(※ここは何度も自慢させて頂きます)さぁ今から宮崎のイベント業界を盛り上げて行こうとしたところ、
「TOKYO」
という夢を見る場所にチャレンジしたくなった僕がいてその結果、わずか2年間でYARAKASA NIGHTに終止符を打ちました。
宮崎を盛り上げる男と宣言した以上、この2年間の結果に満足はしていなく、もっと色んな人に喜んでもらえることがしたい!もっと大きいことを宮崎でしたい!
だからこそ、本場東京で修行するんだ!という熱い想いと根拠のない自信と宮崎で培った武器だけを持って!
日本の首都「TOKYO」
に足を踏み入れました。

心の中のリトル三樹が“東京でプレーしたい”と言いました。(分からない人は何のことかググッて下さい。)

 

チャレンジしにTOKYOへ!

思いたったら即行動だ!というノリと勢いで生きてたので、計画性なんて何もなかったです。ただ夢だけで生活出来るなんて甘ったるい環境じゃないのが
TOKYO(ローマ字表記がウザいですね)

まずは働き口がないと夢なんて叶いません。働く場所も決まってない中、
とうきょう(ローマ字じゃないんかい)

にやって来たので、まずは働くところを見つけないと。。ぶっちゃけ不安は無かったです。根拠のない“自信”と“武器”があったから。そしてご縁があり、東京で大きいイベント会社を紹介して頂きそちらで働くことになりました。

遂にTOKYOで夢へのステージに立てた!
さぁ今から田舎からやって来たこの俺が宮崎旋風を巻き起こしてやる!そう思ったのは一瞬で、、、

現実すご〜く厳しい世界でした。。。

雑用だらけ。休み無しで仕事に追われる毎日。僕が思い描いてたのとは全く違う世界でした。自分の小ささを知りました。

例えるなら

165キロのストレートを投げれると思ってた自分がいたら、実際は125キロだったって感じです。おそっ

 

でもここでイベントの運営を学んで行けば将来のためになると思い、死に物狂いでやっていきました。今となっては、普通の人が出来ない体験を出来ました。

有名なアーティストの現場に入ったり。27時間働いたり(メンタル鍛えられました)。テレビで見てた施設で仕事出来たり。

そこで気付いたのです。

もっと距離が近い関係で対人を喜ばせる仕事をして行きたい。運営もだけどイベントを初めから作って行きたい。イベント企画をもっと学んで行きたい!

そう想い転職を決意しました。

心の中のリトル三樹が“企画を学んでプレーしたい”と言いました。(2回目です。)

 

転職を決意!

そして会社を辞めて、これまた根拠のない自信と武器で面接をすぐ受けて(ぶっちゃけ落ちる気は全くしませんでした)転職をして、芸能関係の仕事をしてるイベント会社に就職しました。

そこでもたくさんのことを学べ、素晴らしい職場の人達と出会い(今でも連絡をたまにとってます。)僕のTOKYO生活は更に充実した生活になって行くんだと思ってました。

しかし宮崎を離れて分かったこと。やっぱり宮崎が好きだって再認識しました。

日々、こうゆうことしたいな〜。こうゆうの面白そうだな〜。って考えてそれをまとめて行くと、不思議と宮崎でやる計画になっていくのです。

いつかは宮崎帰ってまた何かやるって決めて宮崎を離れたので、それもあってか宮崎に無いものを自分で作りたいという想いが益々強くなっていきました。

何気ない日常生活の中で、宮崎に帰ってこれをやろう!というきっかけが出来たのです。

それが、、、

電車の中吊り広告でした。

通勤で電車に乗って帰ってるときに、この何気ないつり革広告を見て思いました。
これだ!
家に帰って、僕の「夢ノート(夢についてひたすら書く)」に企画を練りに練って書きまくりました。
実際にそのノートの一部
これをどんどん内容を詰めて出来たのが、
「合同学園祭」
に辿り着き、宮崎で合同学園祭ってあるのかな?って調べてみたら、やっていない。
だったら、誰がやる?俺がやる!
いつやるの?
今でしょ!(古いとか言わないで)
常にアンテナを張って行動することを特に意識して毎日生活してたので、それがふと実った瞬間でした。
ということで、ある程度企画段階で形にもなってきたので、宮崎に帰ろう〜と決意したのです。

 

宮崎へカムバック!

イベント名なにしようか、どうせだったらかぶらないイベントの名前がいいな。フェスなイベントにしたいな。夢とはリンクさせたいな。宮崎も好きだな。

夢・・宮崎・・・夢宮崎・・・・夢崎・・・・

ん?待てよ。ローマ字にした方がカッコいいんじゃね?

YUMEZAKI・・・・・・・

『YUMEZAKI FESTIVAL』

こうしてイベントの名前が完成したのが、皆さんご存知。

YUMEZAKI FESTIVALです。

これがYUMEZAKIの始まるきっかけです。
そして、125キロしかなかったストレートを今度はしっかり165キロのストレートに修行を積み、今度は根拠のある自信を持ってその武器を持って宮崎にカムバックしたのです。
心の中のリトル三樹が“宮崎でプレーしたい”と言ってたので。(もう、しつこい)