東京でコテンパにやられる…

東京での挫折。

皆さんは挫折したことありますか?部活や仕事、はたまた大好きな人に振られるなど、色んな辛い経験をされてるかと思います。

僕はだいたい挫折することがほとんどです…笑

とりわけ頭も良くありませんし、これといった才能はありません。しかも後先考えず行動することが多い…

それが僕の東京物語のスタートです。

前回の記事は↓をクリック

前回はYUMEZAKIの生い立ちについて書かせて頂きました。

宮崎を少しでも盛り上げるために、イベントをやってきて600人の動員があり(※ここは何度も自慢させて頂きます)
さぁ今から宮崎のイベント業界を盛り上げて行こうとしたところ、
「TOKYO」
という夢を見る場所にチャレンジしたくなった僕がいました。
その結果、わずか2年間でYARAKASA NIGHTに終止符を打ちました。
宮崎を盛り上げる男と宣言した以上、この2年間の結果に満足はしていなく、もっと色んな人に喜んでもらえることがしたい!もっと大きいことを宮崎でしたい!
だからこそ、本場東京で修行するんだ!という熱い想いと根拠のない自信。
コネもお金も無く、ただただ2年間自分でイベントをやってきた。宮崎で培った武器だけを持って!
日本の首都「TOKYO」に足を踏み入れました。
(当時流行ってた番組のメンバーに入れてみた。)

 

思いたったら即行動だ!というノリと勢いで生きてたので、計画性なんて何もなかったです。

ただ夢だけで生活出来るなんて甘ったるい環境じゃないのが
TOKYO(ローマ字表記がウザいですね)

まずは働き口がないと夢なんて叶いません。働く場所も決まってない中、
とうきょう(ローマ字じゃないんかい)

にやって来たので、まずは働くところを見つけないと。

ぶっちゃけ不安は無かったです。根拠のない“自信”と“武器”があったから。

そこでまずは某有名芸能事務所に殴り込みやー!

ということで、飛び込みであの有名な事務所にアポ無しで行きました!

「宮崎からやってきました!宮崎でイベントやって600人集めました!」

(自信満々で話しました。)

「僕なら絶対やれるので、働かせてくださーい!」

「こんなイベントをうちがやったら2000人集めれる!」

「うちには君は必要ないので帰って下さい!!」

「・・・・・・・・・・・。」

コテンパに色々言われました…。こんなに厳しいのか

TOKYOは!

他の芸能事務所にもアタック。全て門前払い。

ちょっと待ってくれ。このままじゃヤバイ…。

正直舐めてました。自分のことを過信してました。

東京に行ったら、自分なんてちっぽけだと。全然大したことないじゃんと。

宮崎からはるばる来て、こんなんで負けてられない!

挫けそうになりましたが、ある会社に直談判しに行きました。

そこで会社の担当の方に会いエレベーターに乗ったら、まさかの

「10階だから。着くまでにエレベーターでプレゼンして。」

テレビでよく見るやつ!笑

僕はとにかく必死だったので、エレベータで自分をアピールしました。

チーン。到着。

「今から○○の現場に行ってきて。」

最初は何が何だか分かりませんでした。

まさかのエレベーターピッチでイベント会社に入ることが出来ました。

まさにこれぞTOKYOですね!笑

遂にTOKYOで夢へのステージに立てた!
さぁ今から田舎からやって来たこの俺が宮崎旋風を巻き起こしてやる!そう思ったのは一瞬で、、、

現実すご〜く厳しい世界でした。。。

雑用だらけ。休み無しで仕事に追われる毎日。僕が思い描いてたのとは全く違う世界でした。自分の小ささを知りました。

例えるなら

165キロのストレートを投げれると思ってた自分がいたら、実際は100キロだったって感じです。

 

でもここでイベントの運営を学んで行けば将来のためになると思い、死に物狂いでやっていきました。今となっては、普通の人が出来ない体験を出来ました。

有名なアーティストの現場に入ったり。27時間働いたり(メンタル鍛えられました)。東京ドームで仕事出来たり。

お陰さまで人気アーティストは実際に生で見れたのは今となっては最高の思い出です。

運営もだけどイベントを初めから作って行きたい。イベント企画をもっと学んで行きたい!

そう想い転職を決意しました。

(当時東京でパリピだったりょうじさん。)

ふとした瞬間に企画が思いつく

そしてイベント会社を辞めて、転職を決意。

これまた根拠のない自信と武器で面接をすぐ受けて(ぶっちゃけ落ちる気は全くしませんでした)

転職をして、芸能関係の仕事をしてるイベント企画会社に就職しました。

そこでもたくさんのことを学べ、素晴らしい職場の人達と出会い

僕のTOKYO生活は更に充実した生活になって行くんだと思ってました。

しかし宮崎を離れて分かったこと。

やっぱり宮崎が好きだ。

こうゆうことしたいな〜。こうゆうの面白そうだな〜。と考えてそれをまとめて行くと、

不思議と宮崎でやる計画になっていくのです。

宮崎に戻ってまた何かやるって決めて宮崎を離れたので、それもあってか宮崎に無いものを自分で作りたいという想いが益々強くなっていきました。

何気ない日常生活の中で、宮崎に帰ってこれをやろう!というきっかけが出来たのです。

それが、、、

電車の中吊り広告でした。

通勤で電車に乗って帰ってるときに、この何気ないつり革広告を見て思いました。
これだ!
家に帰って、僕の「夢ノート(夢についてひたすら書く)」に企画を練りに練って書きまくりました。
実際にそのノートの一部
これをどんどん内容を詰めて出来たのが、
「合同学園祭」
に辿り着き、宮崎で合同学園祭ってあるのかな?って調べてみたら、やっていない。
だったら、誰がやる?俺がやる!
いつやるの?
今でしょ!(古いとか言わないで)
やりたいと思ったらすぐにでもやりたい性格なので、
会社に「宮崎に帰って自分でイベントをします!」と伝え、会社を辞めて

宮崎へカムバック!

2年間の東京生活を終えカリスマが宮崎に帰ってきました。

カリスマが帰ってきた

東京で修行をして、カリスマが帰ってきたぞ!

当時はそんな気持ちでした。笑

この合同学園祭のイベントが今から凄いことになるんだぞ!という自信満々の男がどんなイベントを行うのか。

僕の高ぶる気持ちは止まりません。

イベント名なにしようか、どうせだったらかぶらないイベントの名前がいいな。フェスなイベントにしたいな。夢とはリンクさせたいな。宮崎も好きだな。

夢・・宮崎・・・夢宮崎・・・・夢崎・・・・

ん?待てよ。ローマ字にした方がカッコいいんじゃね?

YUMEZAKI・・・・・・・

『YUMEZAKI FESTIVAL』

こうしてイベントの名前が完成したのが、皆さんご存知。

YUMEZAKI FESTIVALです。

これがYUMEZAKIの始まるきっかけです。
そして、100キロしかなかったストレートを今度はしっかり165キロのストレートに修行を積み、今度は根拠のある自信を持ってその武器を持って宮崎にカムバックしたのです。
ここからYUMEZAKIがスタートします。
自信満々の僕が、まさかドン底に落ちるなんて正直思ってもいませんでした…。

 

次回へ続く。
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